「いけないわ、私……何を考えているの」冷え切った夫との関係、ただ「母親」という役割だけを演じる乾いた日々。佐伯沙代子(さえき さよこ)の止まっていた時が、息子の部屋で見つけた‘ある証拠’によって狂い始める。かつて胸の中で泣くだけだった〇子・卓郎。だが、その部屋に漂うのは、ひとりの「男」としての濃厚で生々しい気配だった。息子の残り香を胸いっぱいに吸い込んだ瞬間、沙代子の中で眠っていた一人の「女」が、痛いほどの産声を上げて目覚めてしまう――。夜ごとに深まる、息子への抑えきれない肉欲。罪悪感に苛まれながらも、暗いアングラサイトの禁忌に溺れ、欲望の手綱を失っていく沙代子。やがて彼女の暴走は留まることを知らず、深夜、密かに息子のベッドへと忍び込む……。「眠っている間なら……あの子を傷つけることもない」しかし、彼女はまだ知らなかった。ベッドの中で静かに呼吸を整える息子が、どんな瞳で闇を見つめていたのかを。引き返せない一線を前に揺らぎ破綻していく、崩壊の境界線。嘘と欲望、そして「共犯」の熱に塗れたふたりが辿り着くのは、救いか、それとも破滅か――?総字数 約29,500字(読了時間 約59分)〈冒頭 約1,500字〉第一章:陽だまりの残り香初夏の気配を孕んだ風が、レースのカーテンを静かに揺らしている。午後二時。家事を一通り終えた佐伯沙代子は、思春期を迎え、日々大人びていく同居する息子・卓郎の部屋へと足を踏み入れた。「少しは片付けなさいって言ったのに……」小さくため息をつきながらも、沙代子の口元には自然と柔らかな微笑が浮かんでいた。部屋の中には、かつて泥だらけになって部活動に明け暮れていた頃の、〇〇泥臭さはもうない。代わりに、少し背伸びをしたようなシトラス系の香水の香りと、男物へと変わりつつある衣類の、どこか重みのある特有の匂いが漂っている。かつてはすべてのプライベートを共有していた我が子が、今やこの部屋という不可侵の領分を持ち、自分とは違う一人の男性としての世界を構築しつつある。同居して毎日顔を合わせているからこそ、その日々の微細な変化は、時に沙代子の胸を不思議な寂しさで満たすのだった。沙代子は掃除機を傍らに置き、まずはベッドの周りに散らばった衣類を拾い上げ、洗濯カゴへと放り込んでいった。シーツを整えようとベッドに近づいたとき、彼女の足元に、小さく丸められた白いティッシュの塊が落ちているのが目に入った。「もう、ちゃんとゴミ箱に入れることくらいすればいいのに」苦笑しながらそれを拾い上げようとした指先が、不意にその奇妙な「硬さ」を捉えた。カサリ、と乾いた音を立てる紙の塊。それは、ただ鼻をかんだり、汚れを拭いたりしただけの柔らかいティッシュとは明らかに異なっていた。芯のようなものが内側で硬化し、わずかに重みを含んでいる。「あ……」沙代子の動きがピタリと止まった。その瞬間、彼女の脳裏に一つの理解が雷のように閃いた。これは、昨夜、この部屋で息子が一人で排出した「証」だ。指先から伝わる冷たい硬質さと、そこから微かに立ち上る、青臭くも濃厚な、栗の花に似た独特の甘い匂い。沙代子の頬に、カッと熱い血が上る。かつて自分の腕の中で、ただミルクの匂いをさせて泣くだけだった〇〇男の子。抱き上げれば壊れてしまいそうだったあの柔らかな存在が、自分に隠れて、このような密やかな行為に耽るほどに、一人の「男」として完成しつつある。それは生命としての正しい成長であり、母親としては喜ぶべきことなのだろう。しかし、生々しい男性のシンボルを突きつけられたような衝撃に、沙代子の動悸はにわかに激しくなった。(卓郎が……こんなことを……)驚きと、どこか取り残されたような寂しさ。しかし、それ以上に沙代子の胸を満たしたのは、言葉にできない艶めかしい動揺だった。彼女はティッシュをゴミ箱に放り込むことができず、ただじっと手の中に握りしめたまま、立ち尽くしてしまった。掌の熱で温められた紙の塊から、さらに濃くなった雄の匂いが、彼女の鼻腔を容泄なくくすぐる。トクン、トクンと、耳の奥で自身の鼓動が速くなるのがわかる。沙代子は吸い寄せられるように、卓郎が今朝まで眠っていたベッドの端に腰を下ろした。ずしりと、男物の体温を受け止めてきたマットレスが沈み込む。そこは、息子の体臭が最も濃く残る場所だった。汗と、若さゆえの脂の匂い、指示されたティッシュから漂っていた生命の源が持つ剥き出しの芳香。それらが混ざり合い、部屋に差し込む暖かい陽光に温められて、濃密な空気となって沙代子を包み込んでいく。「いけないわ、私……何を考えているの」口ではそう呟きながらも、沙代子の身体は言うことを聞かなかった。彼女の夫とは、もう何年もの間、形式的な冷え切った関係が続いている。女性としての自分は、とうの昔に枯れ果て、ただ「母親」という役割を演じるだけの乾いた存在だと思い込んでいた。しかし今、息子の部屋という強烈な男の気配に満ちた空間で、沙代子の中に眠っていた「女」が、痛いほどの産声を上げて目覚めようとしていた。息子の成長に対する密やかな歓喜は、いつの間にか、彼女自身の肉体を支配する淫らな熱へと変貌を遂げていた。息が荒くなる。喉が渇き、唇を湿らせるために舌先を滑らせた。沙代子はゆっくりと、卓郎の枕を抱きしめた。カバーに残る彼の髪の匂いを深く吸い込むと、下腹部にジクジクとした甘い疼きが走る。

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